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 Weekly Magnets vol.011

私たちマグネッツが扱っている古着を皆様にもっと興味を持っていただき、古着のすばらしさを
お伝えできればと思い、その歴史やディティールのことについて紹介していきたいと思います。

Eames part.1

マグネッツと言えばまず「古着」、次に挙げるとすれば「モダンファニチャー」=「イームズ」。
自慢のようで恐縮ですが、当店のモダンファニチャーの品揃えは業界屈指!特に大阪店に
関しては「家具屋さん」ばりです(事実、家具屋さんが買いに来られたことも多々あります)
また、最近では家具の常連様なども多くでき、人気アイテムの柱となっています。

僕たちのライフスタイルをより豊かにしてくれるモダンファニチャー、今回の特集は「イームズ」です。


イームズ物語

1907年6月17日月曜日、ミズーリ州セントルイスのイームズ家に4人姉妹に続く末っ子として待望の男の子が生まれた。
チャールズ・オーマンド・イームズです。1978年、故郷セントルイスでその生涯を閉じるまで、彼は激動する黄金のミッド
センチュリーを、時に翻弄され、多くは自ら先駆者として駆け抜けていくことになります。

彼が12歳の時父が他界、女性ばかりとなった家計を助けるためアルバイトをしながら学校へ通うチャールズは、
文献を片っ端から読み漁ったり、父親の残したカメラで写真を撮ったり、絵を描いたり、
後の姿を暗示させるような行動的で好奇心旺盛な少年でした。

1925年、奨学金を得てセントルイスのワシントン大学建築科に入学。2年後に放校処分。設計事務所に職を得て、
1929年、大学時代に知り合った女性建築士キャサリンと最初の結婚をします。同年設計事務所設立。

時は、史上語り継がれる大恐慌の真っ只中でありました。アメリカは、第一次世界大戦を経てT型フォードに代表される
大量生産体制を世界に先駆けて確立し、徒弟制、一品生産が崩れ、工芸、美術、建築...様々な分野で
過去と未来がぶつかり合い新たなものが生まれる孵化器のようでありました。まったく、現在に近い状況です。

救いようのない悲惨と、保守的な時代を遠く逃れ失踪していく未来への夢がせめぎ合う混沌とした坩堝でありました。

その頃の美術学校は19世紀末~20世紀初頭にかけ、ヨーロッパで起こった様々な新しい様式の影響下にありました。
印象派、フォービズム、キュービズム、シュールレアリズム。マティス、シャガール、ピカソ、ミロ、ダリ、批判と熱狂、
賞賛と蔑視、冷静と情熱?混乱と開放...

ヨーロッパ旧来の美術史との決別を意図して、1925年に開催されたパリ装飾芸術博覧会にアールデコが登場します。
その様式が様々にちりばめられたクライスラービルの完成は1930年、エンパイアステートビルの完成は1931年です。

そうした美術史の真っ只中にあって、後にチャールズの生涯の伴侶となるレイは1931年、母親とニューヨークに移住。
同年ニューヨークに開校されたばかりのアートスクールに入学、ヨーロッパのモダンアートの洗礼を受けていたのです。

一方チャールズは、開業した設計事務所が大恐慌の中で失敗に終わり、再び友人と設計事務所を設立。
そうして設計した聖マリア教会が広く評価され、当時ミシガン州クランブルック芸術専門学校学長だったサーリネンの
目に止まり、1936年彼の推薦で研究生として招聘されます。

この美術学校は、アメリカ発のデザインを世界に向けて発信するべく、高邁な野心を持って設立されたのですが、
同窓にはハリー・ベルトイヤー、エーロ・サーリネン、フローレンス・ノール、ドン・アルビンソンなど、
後に有名デザイナーとなる方々がキラ星のように在籍していました。

1938年チャールズはクランブルックの一員となります。翌年インダストリアルデザイン科教授に就任、そして同科科長に
就任した翌1940年、エーロ・サーリネンと2人で、ニューヨーク近代美術館の「オーガニックデザイン家具コンペ」に応募。
リビングルーム用チェア部門とケースグッズ部門で1位入賞を果します。そしてこの年、チャールズは入学してきたレイと
初めて出会ったのでした。1941年に結婚。2人はクランブルックを離れてロスアンゼルスに移り住みます。

同年12月7日、日本軍がパールハーバーを急襲します。('40年フランス降伏、'41年独ソ戦開戦)太平洋戦争勃発です。
この急襲を待つようにしてアメリカは第2次世界大戦に参戦します。

映画会社MGMで設計技師として働きながら、自宅にあっては合板を三次元成型する技術開発という生活を送っていた
イームズは、見出されて、雑誌「カリフォルニア・アーツ&アーキテクチャー」の共同編集人になります。

同時に成型合板の技術開発会社「プライフォーム・ウッド社」を設立。
戦時下に在って、大量の成型合板を使った負傷兵ための
医療用添え木(レッグスプリント)、軍用機の大型の部品のなどを製作。

こうした中で、イームズは当時最先端の成型合板技術を確立。そして大戦後、イームズは黄金時代を迎えます。


イームズが手掛けた作品

当店で扱っている(または扱っていた)ものを中心にイームズが手掛けたほんの一部ですが紹介します。

Organic ArmChair LCW LCM
 MOMA(ニューヨーク近代美術館)が
 '40年に百貨店「ブルーミングデール」
 のスポンサードによっておこなった
 「住宅家具における有機的デザイン」
 というテーマのコンペで2部門で
 第1席を獲得した椅子。イームズと
 エーロ・サーリネンの共作で、その
 後の2人の原点とも言えるであろう。
 ただ、コスト面、技術的課題に加え、
 第二次世界大戦の勃発など様々な
 壁が立ちはだかり、予定されていた
 製品化、量産化には至らなかった。

 LはLoungeの略。DCWに比べ座面
 背面が大きく低めに作られている。
 困難な一体成型に比べ、大量生産
 向きの構造が高く評価された。
 ハーマン・ミラー社もこの一連のシリ
 ーズを見て、イームズをスカウト。
 初期の背の接合部のワンピースタイ
 プのショックマウントと、シートの5つ
 のビスはその後、2ピースタイプと4つ
 のビスに簡略化された。
 LCWの脚がスティールに置き換えら
 れたもの。最小限の材料で構成され
 ることで、重量、容姿も軽やかになり
 遊び心も感じさせる。このシリーズ
 の成功は、パーツを別々に製作する
 ことで、高価で困難な袋式圧接では
 なく、水圧プレスで成型されたことに
 あった。経済効率を前提とした手法
 の単純化は、往々にして没個性に
 なりがちだが、この椅子は新鮮。
 その見た目から別名「ポテトチップ・
 チェア」とも呼ばれている。

 

Plastic ArmChair DAR
1st EiffeltBase
Plastic ArmChair LAR Plastic ArmChair PAC
 ゼニスシェルは光が透過するほど薄
 く、エッジに補強としてロープが仕込
 まれているのが特徴。当時新素材
 プラスチックが高価だった故、グラス
 ファイバーを足してカサ増しした為。
 後に、ハーマン・ミラー社が手掛ける
 ようになった頃には、プラスチックが
 安価になってシェルも厚く、ロープも
 省略されていくことになる。ゼニス
 シェルと1stエッフェルベースの組み
 合わせ。

 

 唯一、ワイヤーのみで構成されてい
 るベースが、、このキャッツクレイドル
 (あやとりの意)。同じく俗称でラウン
 ジとも呼ばれているが、カタログでは
 LowRodベースと記されている。
 日本仕様の脚は、オリジナルよりも
 約6cmも高くなっていた。それは
 座るとわかるのだが、女性のスカー
 トの中が丸見えに...個人的には
 アームシェルにはこのキャッツクレイ
 ドルの組み合わせが一番好きだ。

 このコントラクトベースは後にアルミ
 ナムやソフトパッドといったオフィス
 家具シリーズのベースとして使用
 されることになる。回転するものも
 あり、背の高さが調節できる。
 さらに実用性を兼ねたキャスター
 (コマ)付きのものもある。

 
Wire Mesh Chair DSH
2ndSeat w/Hbase
Wire Mesh Chair DKR-2
BikiniPad w/2nd EiffelBase
Plastic ArmChair RAR
 意外と知られていないのがこのワイ
 ヤーメッシュチェアのほうが同型の
 プラスチックシェルチェアより発表が
 早く'51年のことで、二重のメッシュ
 によるデザインは、アメリカで最初
 と言われる特許を取得。
 ワイヤーメッシュチェアにはもう1つ、
 ハリー・ベルトイヤーがデザインした
 ダイヤモンドチェアがあるが、イーム
 ズがデザインしたメッシュチェアを
 ハーマン・ミラー社より発売したのが
 1951年、ハリー・ベルトイアがKnoll
 社より発売したのが1952年で両社
 の間で裁判となるが、最終的に発
 表の早かったハーマン・ミラー社が
 ワイヤーを使った椅子の知的所有
 権を取得している。




 ワイヤーメッシュチェアは1ピース、
 あるいは2ピースのパッドを被せて
 使うことができ、パッドにはレザー、
 ビニール、コットン、ツィードなど
 様々な素材が用いられている。
 写真はビニール・レザーの2ピース。
 通称ビキニ・パッドで、それぞれを
 ボタンでつなげて留める。ワイヤー
 メッシュシートは1967年まで生産が
 続いた。2nd・エッフェルベース('52
 年以降)との組み合わせ。

 


 スチールの構成はキャッツクレイドル
 と同じだが、その下にロッキングする
 ウッドが付くRAR(Rocking ArmChair
 RodWireBase)。写真はレプリカ。
 オリジナルのロッキングベースの販
 売は1968年でいったん終了してしま
 うが、イベント用や、子供が生まれ
 たハーマン・ミラーの社員にプレゼン
 トしたりと1984年まで生産された。
 根強い人気を誇る椅子だ。
 ちなみに上のものはシェルにクラック
 箇所があるB品。

 
La Fonda Chair Plastic ArmChair DSX
w/Girard Fabric
Alminum Group
ExectiveChair
 ラ・フォンダ・チェア。イームズは1960
 年にジョージ・ネルソンが深く関わっ
 ていた「タイム&ライフビル」のインテ
 リアデザインの仕事をしているが、
 この椅子はそこにオープンしたレスト
 ラン「ラ・フォンダ・デル・ソル」の為に
 製作された。この店はアレキサンダ
 ー・ジラードがインテリアを、イーム
 ズ・オフィスが椅子とテーブルを手
 掛け、製造をハーマン・ミラー社が
 担当した。

 
 
 サイドシェルをデッドストックのアレキ
 サンダー・ジラードの生地で後から
 覆ったもの。ちなみに盟友エーロ・
 サーリネンの代表作ウーム・チェア
 (1948年)も同じ作りだが、イームズ
 は剥き出しであえて見せることで
 全く新しい表情の椅子を生み出し
 た。いずれも1940年の共作である
 オーガニック・チェアを出発点として
 いることを考えると、両者の着地点
 の違いは興味深い。

 

 アルミナムグループ・エグゼクティブ
 チェア。旧型(4本脚)に対し、こちら
 は新型の5本脚バージョン。
 生地はフレームに沿ってエッジで
 テンションを保ちながら丸め込まれ
 ており、実際に腰掛けると内側に
 回転するフレームと溝が機能して
 常に程よいテンションが保たれる。
 座り心地は抜群で、長時間座って
 いても疲れない、オフィス・ユース
 人気No.1チェアである。

Plastic SideChair DSR
Plastic SideChair RSR Plastic SideChair DSS
Seaform Green Color
 ウエストコーストのディーラー達の間
 では、サイドシェルのことをScoop
 (スクープ)と呼ぶ慣習があるが、これ
 はアイスクリームを掬うヘラにその容
 姿が似ていることによるそうだ。写真
 はシェルをファブリックで覆ったもの。
 ベースのエッフェルはレプリカ。
 DSRとはDiningHeight SideChair
 RodWireBaseの略。

 
 サイドシェルはアームシェルのバリ
 エ-ションとして誕生した。
 当初カラーの選択が少なかったが
 後にバリエーションも豊富になる。
 また1955、56年頃、軽量パイプの
 Hベースが重かった鉄骨のXベース
 にとって代わるようになった。イーム
 ズの椅子は、常に機能とコストのバ
 ランスを考慮した改良が行われた。
 ベースの進化もその一つである。
 写真はレプリカのロッキングベース。

 

 プラスチックシェルチェアは1950年よ
 り発売されるがその最初期のもの。
 初期のものである証拠として、グラ
 イズがメタルグライズである。写真
 ではわかりづらいが、マニアに人気
 が高いシーフォーム・グリーン・カラ
 ーである。ちなみにこのスタッキング
 ベースはマウント位置がワイドの
 ワイド・スタッキングバージョン。

 

イームズに関してはまだまだたくさんの作品や逸話などがあるので第2回、第3回とまた特集したいと思います。


   
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