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 Weekly Magnets vol.014

私たちマグネッツが扱っている古着を皆様にもっと興味を持っていただき、古着のすばらしさを
お伝えできればと思い、その歴史やディティールのことについて紹介していきたいと思います。

Converse

「基本形にして完成形」のオールスター、その誕生は1917年。もうすぐ100年ですよ!
累計販売数は6億足を超えたとか超えないとか。しかしながら残念なことに、少し前ではありますが
本国アメリカでの生産が打ち切られました。その話を聞いたときは「冗談やろ」と思ったものでしたが。
ヒールパッチとインソールの「Made in USA」の文字がなくなることがこんなにも悲しいなんてその時は...

今一度、スニーカーの歴史を振り返ろうということで今回の特集は「Converse」です!


コンバース創業

コンバースの歴史は1908年、アメリカはマサチューセッツ州モールデンに始まった。

当時47歳のデパート経営者「
マーキス・M・コンバース」は、降雪量が多く、深い森や湿地帯の
続くマサチューセッツ州の地域性に着目し、雨や雪の中でも作業できるラバーシューズの製造を
その翌年の1909年より開始した。「コンバース・シュー・カンパニー」の誕生である。

彼の見込みは的中し、コンバースのラバーシューズはその品質の高さから圧倒的な支持を受け、
創業2年目の1910年には従業員360人、一日に4000足を生産する地元の有力企業として成長していった。


キャンバスオールスターの誕生とチャックテイラー

創業者のマーキス・M・コンバースは、ラバーシューズの販売が雪の多い冬場に集中することから、
年間通して販売できる商品の必要性を感じていた。そこで彼が着目したのがバスケットボールだった。

バスケットボールはコンバース社創設にさかのぼること17年前の1891年、マサチューセッツ州の
スプリング・フィールドにおいて、当時YMCAで教鞭をとっていた
ジェイムズ・ネイスミス博士が、
やはり降雪量の多い同地で、冬場にできるスポーツとして考案した。
ここにすでにコンバースとバスケットボールの出会いは運命付けられていた。

1917年、様々な試行錯誤の末にコンバースは、バスケットボール専用のシューズを開発する。
それがバスケットボールシューズのオリジン、「キャンバスオールスター」である。

当時のキャンバスオールスターのスタイルやソールは、現在のものと驚くほど変わらない。
それだけシューズが完成された機能とフォルムを持っていたと言える。

キャンバスオールスターは、世界初のプロの使用に耐え得る本格的なバスケットボールシューズ
として誕生し、その優れた機能性、特にくるぶしを保護するハイカットのデザインは斬新だった。

キャンバスオールスターを認めたのも、ほかならぬプロリーグの選手たちだった。
中でも当時スタープレイヤーだった「
チャールズ・H・テイラー」は、プロバスケットボール・リーグに入団すると
同時にキャンバスオールスターのその品質に惚れ込み、現役時代を通して愛用。

引退後もハイスクールやカレッジのバスケット・チームを訪ねては、多くのプレイヤーにキャンバスオールスターを薦めた。
さらに現在でいうプロフェッショナル・アドバイザーとして、コンバースのシューズの改良について様々な助言を与えた。

彼は一方、自らクリニックを行い、バスケットボールの普及に努めた。
彼の偉大な功績を讃えて、1923年以降は彼の名前がキャンバスオールスターに、
1946年頃からはアンクルパッチに記されるようになった。
世界最初のバスケットボールのシグネチャー・モデルはこうして生まれた。


コンバース・イヤーブック

当時バスケットボール・プロリーグ人気の一翼を担ったのが、「コンバース・イヤーブック」の存在である。

このイヤー・ブックはコンバース社がバスケットボールの普及、振興のために製作を始めたもので、
その年の全米大学リーグでのスコアなどの記録をまとめ、以来1983年までの60年以上にわたり
発行された。コンバースイヤーブックは、創刊当時はカレッジの話題を中心に始まり、プロリーグが発足後は
内容も充実しだし、一企業の冊子からアメリカ中のバスケットボール・プレイヤーのバイブルへと進化していった。


シグネチャー・モデルの草分け、ジャックパーセル

1932年~1945年のバドミントンの連続ワールドチャンピオンであり、
カナダのテニス界を代表するプレーヤーであったジャック・パーセル。

1935年に彼自身が開発に関わり、「ジャックパーセル・モデル」としてスポルディング社より発売された。
言うなれば現在数多くあるシグネチャー・モデルの先駆け的存在だ。

50年代に入ると「
B.F.グッドリッチ」社に販売が移行、この頃に
ジャック・パーセルの特徴の1つ、ヒール・ラベルの「ひげ」が生まれる。

この「ひげ」は、履いた人が直立した際の姿勢に基づいてシューズの内側を高くし、外側を低く柔らかくするという
インソール・ポスチャー・ファンデーション(PF)システム」を説明するために図案化したもの。

1972年、コンバースとB.F.グッドリッチ社のシューズ部門統合により、コンバースの定番ブランドの1つとなる。
ブルーのフラットソールを持つこのシューズは、当時最高水準の快適性、耐久性、パフォーマンス性を誇る
テニス、バドミントン、スカッシュ等のコート競技用として、往年の全米デイビス・カップのメンバーなど、
プロの間で人気を博した。さらにそのシンプルでクリーンなデザインは当時、テニスなどを楽しむ
上流階級の人々やハリウッド・スター達の心をも魅了し、ステイタス・シンボルとなった。

ジャックパーセルはそのヒール・ラベルのデザインから「青ひげ」と親しみを込めて呼ばれている。
また、トゥ部分のラインが微笑んでいる口元のように見えることから「スマイル」とも。

その後も「シェブロン・ストライプ」と呼ばれるツートンカラーの「ラリー」、「レースアラウンド」、
「クーレア」、「ヴァンテージ」、「ウインドジャマー」などのバリエーションが登場。

品質、デザインなど全てが発売当初と同じテイストを保ちながら、今もなお愛され続けている。



成長するキャンバスオールスター

バスケットボールシューズのオリジンともいえるキャンバスオールスターは、発売当時から伝統の「オールスター」。

ソールや、アッパー・デザインを保ちながら、細かなディテールの変更、改良は数多くおこなわれている。
アメリカにてプロリーグ発足当時、バスケットボールシューズといえば
キャンバス製のシューズであり、リーグの多くの選手がキャンバスオールスターを履いていた。

コンバースもそれに応え、ゲームでのプレイの質の向上のために
選手達の意見を積極的に取り入れ、機能性、耐久性を高めていった。

70年代に入ると、オールスターの需要がバスケットボールプレーヤーだけでなく、
タウンユースで増え始め、コンバース社はオールスターのカラーバリエーションを発表。

アメリカン・カジュアルの定番アイテムとしてその地位を確立する。
その後もパステルカラーやカモフラージュ柄など斬新なデザインを発表し、
80年代後半には本国アメリカのスケーターたちが好んで履くようになる。

さらに90年代にはバリエーションを広げ、素材やカラーの異なるオールスターを毎年発表し、
現在までの累計販売数はおよそ6億足、名実ともにスニーカーの王様として君臨し続けている。


70年代の幻、ワンスター

最高のバスケットボールシューズとして多くのプロバスケットボールプレーヤーに愛用されていたオールスター。

しかし、60年代後半からバスケットボールシューズを含めたプロユース・スポーツシューズの機能や素材が
ますます高度化し、それまでのキャンバス素材からレザー素材を求める声が高まっていた。

そんな中コンバース社はオールスターで初めてレザーアッパーを
採用したモデル「スムースレザー・オールスター」を発売。
通称「ジャックスター」の名で親しまれている。

デビューは1969年、メキシコ・オリンピックが開催された翌年である。
スター&バーズ」といわれる☆マークと2本のラインがそのデザインの特徴だが、
ラインは単なるデザインではなく、足の横方向の動きをサポートするよう考慮されたものだ。

また、初期のモデルには敢えてセメント製法が用いられたが、その理由は熱で
圧着ヴァルカナイズ製法だとレザーが熱に耐えられないためだ。

その翌年にはスウェード・アッパーが加わり、カラー・バリエーションはチームカラーに合わせやすいように7色で展開された。

1972年にはハイカット・バージョンも登場。そんな人気にもかかわらず、
生産はスムース・レザーで
1969年~1973年、スウェードで1970年から同じく1973年まで
と約5年余りの短いものであった。

その翌年の
1974年には2本のラインがなくなり、☆マークだけの「ワンスター」の登場となる。
数十年にわたって「幻」という名を欲しいままにし、ヴィンテージ・スニーカーの頂点に君臨し続けている「ワンスター」。

そのエピソードは
生産が1974年と1975年のたった2年という短さも理由だが、もう1つ、アッパーには星のマークだけの
「コンバース=星」を象徴するモデルであったためだ。しかも素材は当時としては最高級のレザーを採用していた。

1984年、ファンの要望によりスムースレザーのワンスターが復刻、スウェードは1993年に復刻される。



開発は日本、スターファイヤー

1970年代、アメリカでは空前のジョギング・ブームが到来。

当時バスケットボールシューズ以外の商品を模索していたコンバース社はそのブームに目をつけ、
1975年に発売されたのが、「オールスター・レザー・トレーニングシューズ」だ。

翌年にはカラフルな「ナイロン・アッパー」が登場し、さらに翌年の1977年に名品「スターファイヤー」を発表する。

4色展開で、レッド、ブラウン、イエロー/ブルーに加え、「青リンゴ」と呼ばれたカラフルなグリーンのアッパーに
シェブロンスターのデザインは1970年代のファッショナブルなアメリカの1つの象徴であった。

スターファイヤーの開発をおこなっていたのは、ほかでもない日本の「ジェネラル・ワールドスポーツ」社である。
スムースレザーアッパーはユーゴスラビア、スウェードやナイロンアッパーは日本や韓国で生産された。



バッシュのレザーハイカット時代の先駆者、プロレザー

バスケットボールの花形プレイ、ダンクショット。ダンクとは「コーヒーの中にドーナツを浸して食べる」ことが語源。
10フィート(3メートル5センチ)の高さのリングにボールを叩き込む大技だが、このダンクを
芸術の域にまで高めた選手がいる。「
ドクターJ」ことジュリアス・アービングである。

その彼が愛用し、ダンクを連発していたことから「ドクターJ・モデル」と呼ばれたのが「プロレザー」だ。
「ジャックスター」、「ワンスター」の後を受け継ぎ、登場したのは
1976年
正式名称は「オールスター・プロフェッショナル・バスケットボール・シューズ」という。

良質のスムースレザーを使い、一体成型ゴムソールをアッパーに縫い付けるソール接合方法を採用。
衝撃吸収特殊素材などのハイテク機能は開発されていなかったが、ハイカットモデルは
足首のホールド性を強化、当時としては革新的なバッシュだった。

70年代後半にはNBAのスーパースターや、あのマイケル・ジョーダンも
ノースカロライナ大学時代に、ノースカロライナ・ブルーのハイカットを愛用していた。



スーパースター達の最強兵器

NBAが現在のようなメジャーな地位を確立したのは、そんなに昔のことではない。
70年代まではTV中継も少なく、MLBやNFLに比べるとマイナーな存在だった。

しかし、80年代に入り、
マジック・ジョンソンラリー・バードという
2人のスーパースターのライバル対決が注目されると人気は急上昇。
その後、マイケル・ジョーダンの出現により爆発的な人気を獲得した。

そんな80年代のNBA人気を牽引した2大スター、M・ジョンソンとL・バードを
広告に起用し、
1986年に発売されたのが「ウエポン」である。

ウエポンの前身モデル「
スターテック」(バッシュで初めてベルクロストラップを搭載、ロサンゼルス・オリンピック
ではジョーダンも愛用した)から受け継いだローカットでは補えない足首のサポートにこだわったミッドカット、
アンクル部分をサポートする足入れ口の上部まで伸びたレザーパーツなどオリジナリティ溢れるディテール。

このアンクル部分の「
Yバー・アンクルサポート」は、テーピングの役目をこなすサポートパーツとして
足首を保護する当時の最高峰の機能だった。

ボリューム感たっぷりのフォルムだったが、それを引き締めたのがプロレザーから
受け継がれたアッパーサイドの「スター&シェブロン」だった。

また、カラーバリエーションも13色に、当時のNBAのチームカラーに合わせたものも発売され、
人気は加速した。にもかかわらず
発売は僅かに2年間だけであったが、
全世界での累計販売数は400万足を超えた。



コンバースの銘品たち

CANVAS ALL STAR JACK PURCELL 「LARRY」 JACK PURCELL 「Slip-On」
 

ONE STAR smooth leather JACK STAR Hi STAR FIRE
     
PRO LEATHER STAR TECH WEAPON


  
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